感謝と思い出を呼び起こす「敬老の日」

こんにちはNFORCEの長島です。


今回は「敬老の日」について書いてみたいと思います。


まず内閣府資料によると、敬老の日とは「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」とされています。

2007年からは9月第3月曜日となっていますが、敬老の日は1966年に国民の祝日として9月15日に制定されました。ではなぜこの日かというと、593年の9月15日、聖徳太子が大阪の四天王寺に、悲田院という病気の人や貧しい人々を救うための施設を設立したことを由来と伝えられています。



私にとっての敬老の日で思い浮かぶ言葉は「感謝」です。

父方母方共に祖父母は他界しましたが、明治、大正、昭和と激動の時代を生き抜き今ここに私が存在することに感謝の言葉しかありません。


特に思い出深いのは母方の祖母の話です。

強い女性でした。男社会の中でも負けん気が強く物事をはっきり言う性格で、そんな性格を買われてか時より医師の助手として手伝いをしていたようです。

大正〜昭和初期、地方の村ですから医療物資も少なく、さらに戦争で人手も足りない時代に、先生の横で様々な人たちの手当てをしたと聞いたことがあります。



私が幼い頃は祖母の家から幼稚園に通ったり、小学校低学年の頃までよく祖母と一緒にいました。いわゆる「おばあちゃん子」ですね。


ですので私の思い出の味と言うとおばあちゃんの「味噌おにぎり」や「おはぎ」「炒めご飯」「鯉こく」「鯉のあらい」「どじょう」「いなご」です。そのお陰で骨折もしたことが無く丈夫な体に育ちました。


祖母は小さい商店を営んでおり食品や日用品、駄菓子、などが扱い地域の人たちから重宝がられていました。

そのお店に月に一度、それも決まって夜に荷台をドーム型の緑色の幌に包まれた怪しげなトラックが横付けされる日があります。


5、6個の裸電球が薄暗く光っている荷台の幌の中。

恐る恐る覗き込んでみると、駄菓子や玩具が四方に広がり当時の私にとっては夢のような空間が広がっていました。私は目を輝かせ、口をポカンと開けていると祖母が「何か良い?」と聞いてきます。

私はウキウキしながらパッケージのカラフルさや形に心躍りながら「あれ!とあれ!」と言いながら指を刺したことを覚えています。

その日以降、月に一度の仕入が楽しみになったのは言うまでもありません。



そして今この仕事について思うことは、

祖母は私の目線を通して「今の子供は何に興味があるのか」を参考にしていたんですね。「購入者の目線で考える。」いつの時代も同じなんだと、あらためて感じました。

祖母が与えてくれた時間は私にとって想像力の種となったことは言うまでもありません。




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